H31.04.13_どじょっこふなっこ
幼いころから聞きなれていた歌です。
今日放送されたBS朝日の「子供たちに残したい 美しい日本のうた #22」で「どじょっこふなっこ」が紹介がされていました。
知らなかったことが幾つか
・1番から4番(春から冬)まで歌詞があった。
・作詞は誰だか不明だということ。
・一人の教員の勇気によって世の中に輩出された曲だということ。
・世の中に広めたのは東京の音楽教師だったということ。
BS朝日から引用
秋田の農村の四季が歌われています。この歌が広く知られるようになったきっかけは昭和11年秋田市にある金足西小学校に東京の玉川学園の生徒20人と引率の教師が訪れた時。合唱と体操の公演で全国を回っていたのです。玉川学園は音楽教育に力を入れていて鍛え上げられたコーラスを披露。秋田の農村に 西洋音楽が響き初めて聞く生徒たちは驚いたといいます。
その夜小学校で開かれた歓迎会で秋田側も歌を披露しようとしますがみんな 恥ずかしがって歌う人がいません。そこで 指名されたのが新任教員の中道松ノ助です。前任地の秋田県北部で聞き覚えた詩吟調の歌を披露しました。その時に歌ったのが『どじょっこ ふなっこ』でした。すぐに 面白いと玉川学園の音楽教師岡本敏明が歌を書き留めその後世の中へ広まったのです。
と紹介があり、秋田混声合唱団の皆さんによる歌唱が始まります。秋田にしては珍しく若い女性もいる団体でしたね(笑)
さて、中松先生の過ごされた昭和初期はパワハラが酷かったでしょう。中松先生も歌いたくなかったでしょうね。でも、こうしたパワハラが生んだのが日本の名曲ということになると何か複雑です。玉川学園の岡本先生もこの曲を面白いと思ってくれなかったら、この曲が世の中に出ることはなかったんです。
そう考えると奇跡の一曲といっても過言ではないでしょう!
ということで、私も心して聴くことにします